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2009年11月17日

やっと書きます!南アフリカの続きの話(長いです)

2009年
今年の年明けくらいに偶然ビックカメラで再会した南アフリカの会社社長の話をブログで書きましたが、
その話も面白かったんだけど、実は、この続きというか「オチ」があります


そこの会社サイトの仕事だと言う話で南アフリカに行く事になったのですが、そこでの大大大ハプニングは友達数人に話したくらいで
ブログに書こうと思うまでかなり時間がかかりましたが
今日勇気を出して書こうと思います。


思い出したくない話ではあるが、
カメラマンという仕事をしている以上、こんな話はあってもおかしくないのかと思う。

そこの会社の秘書の日本人女性も行く予定だったが
いけなくなり私一人でアフリカへ行き、
泊まる先は社長宅のお屋敷の二階だった。


社長男性Uは南アフリカ出身の白人で40代後半で独身、屋敷に一人で住んでいて黒人のおばあさんのお手伝いさんがたまに来るような生活だった。

日本で見たときの彼はスーツ姿にジャガーに乗って、
秘書に買い物を着き合わせ丸の内にオフィスを構え、
投資会社をしていると、全てうそではないのだが
ダーバンの空港で会ったときは、時計のガラスが割れているのを着け
iphonも傷だらけ、車は途中でエンストをするような車だった。
全てが壊れていて、セッカチそうに次から次へ誰かに電話をかけ
落ち着きがなく、とても企業の社長には見えない別人だった。


(お、これは、騙されたか?)と思いながらも24時間かけて日本からアフリカに来たフライトの疲れで私はとにかくどこでもいいので
眠りたかった。

その日、自宅でパーティがあると、
プールサイドで若いモデルなどを集めてドンちゃん騒ぎをしている。

私はあきれて、すぐに部屋に入ると
ドアをドンドンと5,6回叩き「開けろ」と怒鳴っている彼がいた。

「パーティは終わってないんだから、まだ部屋に行くな!」と
いきなり本性を現し、自分の思い通りにならない事は許せないという感じだった。
まるでお手伝いさんに命令するかのように言われ、
その日は我慢して言う事をきいた。

翌朝、こんなところに居られないと思い、
ホテルに泊まってもいいですか?と聞くと
「駄目だ」の一点張り。
お願いしますと何度も頼んだが無理で
恐怖と悲しみで手が震えてきてしゃがみ込み
頭を下げてお願いすると
なんと、その男は私の頭をサッカーボールを蹴るかのように蹴り上げたのだ。


とうぜん顔は腫れてしまった。


騒いだら殺される?と冷静に判断して
言う事を聞きながら2日が過ぎ、彼の友達という人が度々
家に訪れるので
その女の人に全てを話したが、彼女も何も出来ず、
私にタクシーの番号と
ここのゲートの鉄格子を開けるボタンの場所だけを教えてくれただけだった。

地球の歩き方に書いてある緊急の時の連絡先と
大使館の番号があったので
これに夜、電話をかけていると、
またその男が部屋にやってきて「誰に電話をしているんだ」と
怒鳴られる。

彼が寝静まった頃また大使館に小声で電話
「朝、警察を行かせます。ドアを開けられないように
ベッドなどで抑えて彼が入らないようにしてください。」

グーグルアースで位置を確認してくれたが
なるほど、こんな風にグーグルアースは活用できるのかーと
ちょっと感心した。

私は「二階の奥の階段上がって右の部屋にいます」などと詳しく大使館の人と高い国際電話で話した。

朝9時、警察は来なかった。

大使館の方から電話
「須藤さん、ごめんなさい、私が居る場所はヨハネスブルグで
そちらのダーバンまでは距離があるのと、
ダーバン警察に電話をかけているのですが、
ここは日本ではなく、南アフリカなので刺されたとか何かを盗まれたとか実際何か事件が起きてからではないと警察もに人手が足りず
動かないんですよ。」

と。

自力で脱出といっても、すぐに捕まえられてしまうと思った。
頭が真っ白になったが、このお屋敷の外に一歩出られたとしても
出た先は、森の中の道でどこまで行けば人に出会えるか分からない。

隣に人は住んでいるようだが
草木や塀で囲われていて、隣の人が出てくるのがなかなか見えない。


冷静に、自分の生命力の強さを信じて、何事も起こらない事を信じ続けた。

お屋敷の庭に彼が出ていて、
呼ばれて椅子に座り説教を聞いていた。


すると隣の家の家族が生まれたばかりの赤ちゃんを抱っこして
出てきた。

彼に「あの赤ちゃんの写真を撮りたいから話しかけてきていいか?」と
聞くと、イイよとOKが出たので
私は寝てたままの姿にパーカーを着て
パスポートと財布をポッケに
EOSMARKⅢのカメラと28-70mmのレンズ一本だけを持ち、

今しかない

隣の家族に「写真を撮らせてください、中に入ってもいいですか?」と
声をかけて
怪しくないと思ってくれたようで
庭に入る扉を開けてくれて
中に入った


「助けてください」

震える声で私が言うと、1分以内に事情を把握してくれて
そのまま旦那さんの車に乗り込み
すぐに10分後には警察に行けたのだ。


過去にスーツケースを持って帰ってこない旅は一度もないが
カメラと自分の命があればそれでいいと
後は何もいらないから日本にとにかく帰りたいと心から願った。


警察に着くと、のんびりしたダーバン警察の警官たちは
一通り話しを聞き、30分後に空港まで送ってくれた。

空港についても、まだ彼が追いかけてくるような気がして、
ソワソワしながらチェックイン→ゲートまで走る。

ダーバンからヨハネスブルグまで2時間

その間、彼からの電話が100回くらい鳴っていた。


ヨハネスブルグまで着くと、南アフリカ大使館のSさんが心配して
迎えに来てくれた。
今日は日本に帰れる便がないので
近くのホテルに泊まったほうがいいという事でホテルの手配までしてくれて、本当に親切な方で、感謝している。


ホテルの部屋に着くと、ほっとして涙がやっと出てきた。


その後は朝まで何も食べず泥のように眠った事しか覚えてない。


朝、チェックアウトをしようとロビーに出た

するとベットメイクなど裏方仕事をする黒人の婦人たちが20人くらいで
ステップを踏みながらゴスペルのような歌を歌っていた
何を歌っているのか分からないが
人種差別(アパルトヘイト)など、いまだに根底からは消えない国だけれども
毎日を楽しむために、そのステップを踏み歌を歌う小さなSHOWを毎日行っているのかと思うと、涙が溢れて止まらなかった。

そして、私が高校生の頃に覚えたアフリカの国家が歌える事を思い出した。

彼女たちは歌が終わると吸い込まれるように
いつもの裏口に消えていくのが見え、
それを追いかけて行き、細い廊下を歩く彼女たちに「すいません」
と振り替えらせ「私は日本人ですが、聞いて下さい!」と
大きな声で言い
「コシシケレリー アーフリカー♪」と歌いだしたら
目を真ん丸くさせて驚いた彼女たちが
後から続いて素晴らしいハーモニーで国家を歌い上げてくれた。

細い廊下に響く歌声はどんな有名なホールよりも負けない
最高のステージとなり、「音楽に国境がない事」を言葉ではなく
初めて耳と心で理解できた気がした。


しなくていい経験もあるけれど、平坦な道を歩きたくないと
選んだ人生なのだから
こんなハプニングがある方が私らしいのかもしれない。da%20%282%29.jpgdad.jpg


Posted by Yuko at 2009年11月17日 12:07

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